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今週のおすすめ製品 薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B 和書

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今週のおすすめ製品 薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B 和書

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_画像1 薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_画像2 薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_「半是君詩半是書」白氏文集の有名な漢詩 閉じる

「半是君詩半是書」白氏文集の有名な漢詩

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_国宝・橋姫・大君と中の君と薫の君 閉じる

国宝・橋姫・大君と中の君と薫の君

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_左・中の君、右・大君(国宝・拡大) 閉じる

左・中の君、右・大君(国宝・拡大)

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_大君と中の君をのぞく薫の君(絵の資料) 閉じる

大君と中の君をのぞく薫の君(絵の資料)

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_八の宮の家系図(大君・中の君) 閉じる

八の宮の家系図(大君・中の君)

薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、姫君・大君と中の君の後見を託される・自筆「源氏物語」橋姫・茶道33-B_薫の君、実父柏木が残した手紙の袋を知る 閉じる

薫の君、実父柏木が残した手紙の袋を知る

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「橋姫(はしひめ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。復興線上に踊る帰還同胞/昭和24年/年代的縦の方面ではパイオニアの古老より米国生れの二世三世に及ぶ・個人の記事と小照を併せ掲げた。

「橋姫の巻」は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君が有明の月の下で琴と琵琶を合奏する大君と中の君の二人の姫君の姿をかいま見る。●布告布達●皇城炎焼に付赤坂離宮へ御立退相成候 太政官庁炎焼 赤坂離宮を以假皇居と定められ候 京都府布令書 明治6年●古文書 郷土資料。その気品高い優雅に心ゆらいだ薫の君は大君に恋をする。即決 1849(嘉永2)年『南都暦 天保壬寅元暦 』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕アンティーク、天文暦学書、江戸期和本。大君の父・八の宮は、桐壺天皇を父とし、朱雀天皇の弟で皇太子であったが政変により都を離れ宇治に住む。源氏の君、女三の宮(前・朱雀天皇の皇女)にお琴についてお話しなられる・自筆「源氏物語」若菜(わかな)下の巻・茶道・Ⅱ-25B。大君と中の君の乳母子は柏木の乳母子であり、柏木の遺書を持っていた。仙石廬元坊編『桃の首途』(全3巻揃)享保13年橘屋治兵衛 各務支考門人で美濃派俳人の俳諧紀行 俳句 俳書 江戸時代和本 加賀千代女ら。そこで薫の君は自分の出生の秘密を知る。趙翼『簷曝雑記』(全3冊揃)文政12年 宮屋源七他刊 江戸時代和本 唐本漢籍和刻本 中国清代の考証学者。大君(おおいきみ)の美しさに心を惹かれる薫の君と大君のきらびやかな恋物語が描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大正15年発行  君ヶ代文庫 天下三槍 後藤又兵衛 榎本松之助 榎本法令館書店 秀吉/中津城/関ヶ原合戦。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。古書等 3点 レターパックライト可 0214R1h。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。●郷土資料●『京都名勝記』全3冊揃 彩色木版挿絵19図 折り込み地図2枚 明治36年刊 京都市参事会●古書 和本。現在の今上天皇と系譜がつながっている。明治期 『萬國地理訓蒙』写本/万国地理蒙 西村恒方 コロネル 古書 古文書 和本。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。米庵墨談・正続・6冊/市川米庵・中国宋の米?の書を学び米庵と号した・門弟に貴人が多く・その書風は大流行した・幕末の三筆の一人/和装本。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。福島県人物事典★「会津女性人物事典」平成4年 著 小島一男 モノクロ写真 松平小君略伝 歴史春秋社。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。三浦梅園著 柴田花守増訂『闢邪必読 五月雨抄 上』(巻1+巻2 元合本全1冊)明治5年四姓堂合梓 明治時代和本。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。即決 1815(文化12)年『南都暦』南都陰陽師、寛政暦、大和暦、奈良県アンティーク、天文暦学書、卜占、地方暦、江戸期和本。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。独立機関銃隊いまだ猛射中なり/坂口一郎/菊池寛序・これは世人に讀まれていいものだと思ったので極力出版についてのお世話をしたわけである。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。o21020155〇明治時事評論誌「扶桑新誌」明治14年3月第155○ロシア皇帝の凶報、アレクサンドル2世暗殺○琉球処分清朝の望み○榎本海軍卿辞表。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。絵図 (城郭図) 京都府 山城国 淀城 A (レターパックライト発送)。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。『朝忠中納言集』 和書 古書。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。即決 1867(慶應3)年『南都暦』南都陰陽師、天保壬寅元暦、大和暦、奈良県アンティーク、天文暦学書、卜占、地方暦、江戸期和本。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。f21040201〇年貢皆済目録 千葉県 米倉村 延享2年(1745年)から幕末迄 約120枚 宝暦11年 天明2年大飢饉含む 虫損 破れ有〇和本 古書 古文書。また、各巻ごとの書かれた年については不明。支那事変と列国の論調・第一集/姫野徳一/昭和12年/支那事変に対する日本側の措置・支那事変と支那・事変と支那事各地事情・支那事変と列国。従って、応永五年とは、書き始めの年である。佩文齋詠物詩選 二編 漢書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。N21012137〇明治新聞 解譯新聞誌 明治8年6月125号〇公文 官林伐採後の植林取調 〇海内 雷電震右衛門を屯所に連行 新潟県小千谷町縮帷子盛況。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。好古類纂及其拾遺・風俗部類/浮世絵の沿革・女装沿革・時行修養容/古版大名行列図・徳川家紅葉山御宮社参次第・菱川師宣・鳥居清長/和装本。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。萬葉集・巻第一・第二・第七・3冊/塙保己一先生遺業継承温故学会蔵版/復刻版/塙保己一が書写させその子・忠宝が弘化年間に開版したもの。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。江戸模様雛形本。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。※状態が非常に悪い 天攵板論語 2冊 南宗論語考異1冊 計3冊セット 【a-851】。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。即決 1839(天保10)年『南都暦 寛政暦 』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本 八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。☆E0078和本江戸期赤穂浪士忠臣蔵「義士伝」上中下3冊揃/古書古文書/手書き。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。茶経評釈・2分冊/諸岡存/昭和16年・限定500部・非売品/理解しがたい古典茶経を出来る丈け現代的に合理的に解釈及批評するのが趣旨/和装本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。松のほまれ・松の誉/明治37年/田中光顯・岩倉具視題字/勤王女傑贈正五位・松尾多勢子・幕末尊王攘夷の運動家で岩倉具視の信任をも得ていた。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。N21020102〇秋田県布達 明治8年〇台湾蕃地処分の際蕃地又は長崎で死亡の夫卒 同県小島郷梅ヶ崎(現長崎市)に埋葬者15名の本貫地等調査を要請。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。支那事変・続皇軍武勇伝・附銃後美談/北支戦線画報/昭和12年。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。ケン(金偏に今)録。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。大坂町鑑。


 出品した「源氏物語」は橋姫(はしひめ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。華夷通商考。橋姫の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする浮舟の恋物語を描いております。大将の君(夕霧)、女三の宮(前朱雀天皇の皇女)と紫の上を比較する・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道・茶道具97B。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする。大正3年発行 赤裸々の獨逸皇帝 成功雑誌社 興味多き性格/意外の運命/老相罷免の計略/皇帝と人物の任用 etc。八の宮の山籠りの留守中に宇治を訪れた薫の君は、有明の月の下で琴と琵琶を合奏する大君と中の君の二人の姫君の姿をかいま見る。六根清浄大祓図会。その気品高い優雅に心ゆらいだ薫の君は応対に出た大君に交誼を申し出るが、代わりに応対に出た弁の君は柏木の乳母子であることを告げたうえ、柏木の遺言を伝えたいと申し出る。非常時・国防写真大観/陸軍大臣林銑十郎・海軍々令部次長加藤隆義題字/昭和9年/海軍大演習・満州国の威容・新兵器献納式・新興帝国の輝き。冬十月、宇治を訪れた薫の君に、大君と中の君の姉妹の後見の依頼を受け承諾した。佐喜草。その明け方、薫の君は弁の君と対面し自分の出生の秘密を知る。防御・攻撃・遭遇戦・昭和3年/戦術研究上の著眼及原則問題の答解要領・戦闘之部・前編と陣中要務之部・某参謀編・昭和11年/戦時資料・3冊。その証拠の品である柏木の遺書を読み、自分の薫は出生の秘密を知る。昭和22年発行 國際決濟銀行第十五回年次報告(1944~45) 第二次大戰と世界經濟 東京銀行調査部訳 時事通信社 経済/BIS。しかし、父柏木の顔を知らない。訓蒙窮理問答。だが、親であることは間違いない。昭和26年発行 風流あじろ笠 行雲流水の巻 村上元三 文藝圖書出版社。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。風月往来。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。西南征討史略・青木輔清・3冊/当時国家の形勢賊の叛する内情を穿ちたる名論等亦少からず此役の顛末を貫了せんとする者此書の外にあるなし。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解する。観世音持験記。薫の君は美しい大君に心を動かされ愛情が芽生えていく。尊攘堂遺墨集・尊攘堂誌/昭和3年/非売品/和装本/吉田松陰・佐久間象山・高杉晋作・山縣有朋・坂本龍馬・木戸孝允等維新の志士の書/82点。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。春の寝覚夢物語。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。明治29年発行 名人逸話 風流翁。薫は出生の秘密を知る。絵図 (城郭図) 熊本県 肥後國 求麻城(レターパックライト発送)。しかし、父柏木の顔を知らない。平野霞裳 井上楊南 作品図録 陶器 ひらのかしょう 常滑。だが、親であることは間違いない。救荒事宜。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。ニューギニア事情・豪州委任統治領・南洋庁調査課資料第四集・昭和14年/ニューギニア事情・パプア領編・南洋庁調査課資料第二集/2冊。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。古書 四庫全書伝記資料索引 上下2冊。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解したものとされている。経文 釈厳如 和本-写本 釈勝如。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。瞬間催眠術教授書/山本鶴導/大正3年/然共催眠術は吾人生存上寸時欠くべからず即ち應用の廣汎にして万能なる到底言語に絶するの外なし。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。歌林雑木抄。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
「橋姫」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。推験鈔。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。東嶺和尚心経註/心経不不註/臨済僧東嶺円慈による般若心経の注釈書/漢文体・師の闡提翁(白隠慧鶴)の命による著作/鵠林門下二神足/嘉永7年。
この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。昭和3発行 史料編纂掛一覽 東京帝國大學 文學部 史料編纂掛  職員/編纂發行圖書/大日本史料/大日本古文書 etc。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。和本 書道『暢寄帖 三十六峰外史墨蹟』3冊揃 明治2年 頼山陽/著 思想家/漢詩人/文人 (江戸 古文書。)

「自筆原本」

自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。信濃偉人遺芳帖/大正7年/天金本/真田幸村等約50名の書収録/書M。

《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。和刻本正史・北史・南史・縮刷版6冊/南京の國子監で校刊されたいわゆる南監本に句読を加えて弘化四年松江藩で復刻したもの/定価合計21200円。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。目安裏書初判之事…。》

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。★R-046219 昭和2年 嫩柳 関口典堂 非売品(和本、古書) 江戸文学選集。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。鉄道旅行案内/鉄道省/貝原益軒/本書は道沿線の名勝史その他行楽地の概略誌普通一般の旅行者の参考となるべき事項を記述したものである。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。支那開国始末/露国東洋語学博士・貝斯徳尼・ボスドネフ著/岡本武雄序・加藤稚雄・木下賢良合訳/陸軍少将・奥保鞏題字/明治22年。


《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。小学形體線度略解。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。1894年発行 日本歴史書譜 明治時代 挿絵付き本 / 鳥羽絵 漫画。》

《宇治八の宮の物語》

《薫の君、姉妹を垣間見る》
《薫の君、大君と御簾を隔てゝ対面》
《薫の君、宇治へ手紙を書く》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)に宇治の姉妹を語る》
《十月初旬、薫の君、宇治へ赴く》
《薫の君、八の宮の娘たちの後見を承諾》
《姫君の御うしろも(後見)にて》・・・・さふらはせ給(たまふ)、
弁の君とそいひける。二十四章孝行録。年も六十にすこし足らぬほとなれと、
みやひかにゆゑあるけはひして、ものなと聞こゆ。三泉百絶。
故権大納言の君の、世とゝもにものを思ひつゝ、やまひつき、
はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出て、泣くこと限りなし。新版万日記盡。
「けに、よその人の上と聞かむたに、あはれなるへき古事ともを、
まして、年ころおほつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの
初めにかと、仏にも、このことをさたかに知らせたまへと、
念しつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを
おほえぬついてに聞きつけつらむ」
とおほ(思)すに、・・・・《なみた(涙)とゝめかたかりけり。纂集御系図・旧典類纂・皇位継承篇/有栖川宮殿下総裁/黒岩周六論文・犬養毅演説/憲法並に皇室典範制定の基礎底本にして不朽の典籍/昭和7年。》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。瓦礫雑考。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。安政五年三月下旬流行。


《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《桐壺天皇の皇太子・八の宮の二人の姫君(大君と中の君)と薫の君(女三の宮の子)の恋物語・自筆「源氏物語」橋姫》

《八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子)姫君(大君と中の君を養育)》
《国宝・橋姫の元になる原文・薫の君、大君と中の君の合奏を聴く》
《桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮の娘・大君と中の君の合奏後、薫の君老女房の昔語りを聞く》
《薫の君、弁の君の話(薫の君の出生の秘密を知る)に関心をいだき再開を約す》
《薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、大君と中の君の後見を託される》

《薫の君、弁の君と対面、実父・柏木の手紙を託される》

《さて、その夜明け方の、八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮)が
お勤行(つとめ)をなさる間に、中将(薫の君)は、
あの老人(おいびと)の弁の君をお呼び出しになりお会いになる。昭和19年三版発行 海表叢書 別巻異国情趣集 新村出監修 平樂寺発行 俳諧/和歌 etc。
この老人は、姫君(大君と中の君)の御後見として》・・・・仕えさせていらっしゃる
弁の君(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えたの弁の君)という者であった。大正15年 小林一茶 一茶翁百年祭記念集 非売品。
年も六十に少し足りないくらいであるけれど、都ふうに嗜(たしな)みのある感じがして、
なにかと中将(薫の君)にお話し申しあげる。色葉字類抄・巻上/非売品/大正15年/後世に多大な影響を与えた平安知識層のために編まれた最古のいろは引き国語辞書/和装本/黒川真道蔵書。
弁(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えた弁の君)は、故権大納言(柏木)の君が
ずっと物思いに悩みぬいて、そのために病(やまい)になってなくなっておしまいになった
始終を話し申して、どこまでも泣き続けている。≪ きもの友禅 カタログ本 11冊セット ≫ E-202。
中将(薫の君)は、
(薫の君)「いかにも、他人の身の上話として聞いていてさえしみじみと悲しくなるに
ちがいない昔話であるのに、まして長年の間気にかかっていてその真相を知りたいと思っていました。続日韓古蹟/奥田鯨洋編・奥田直毅/柳成龍著・懲ヒ録/明治44年/日韓外交の破綻・秀吉の離間策・講和使の渡日・自名護屋至境濱・清正と惟政。
私の出生については疑問に思うところがありましたが、いったい事の起りはなんであったのかと、
仏にもその事情をはっきりお教えくださいとお祈りしていた、その験(しるし)であろうか。菩提心論鈔。
こうして夢のように心うたれる昔話を思いがけない機会に聞きつけることができたとは」
とお思いになると、・・・・《涙をとめることもできないのであった。うすひき歌信抄。》

備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。浦農志保貝。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。地方凡例録。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。維新日誌・20冊/和装本/徳富蘇峰推薦・題字/非売品/限定/昭和7年。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。明治百二十家絶句・6冊/土佐・谷喬撰/和装本/明治年間ノ諸先生百有余家ノ詩ヲ輯録セシ書ニテ真ニ騒客須史モ吟辺ヲ関ク可ラサル珍書ナリ。


《The Lady at the Bridge(橋姫)》
Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in
constant attendance upon his daughters.
Though in her late fifties, she was still favored with the
graces of a considerably younger woman.
Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life
"the young captain,"
Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently
wasted away to nothing.
It would have been a very affecting tale of long ago
even if it had been about a stranger.
Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts
of his birth, Kaoru had prayed that he might one day
have a clear explanation.
Was it in answer to his prayers that now, without warning,
there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。普法戦紀・ふほうせんき・7冊/王韜撰・張宗良芝/陸軍文庫/明治11年/清末のジャーナリスト・普仏戦争の記録で日本人にも広く読まれた/和装本。


《橋姫》
老侍女是服侍位女公子的,名叫弁君,
年将近六十,然而度雅,善于。尊経閣蔵三巻本・色葉字類抄/平安時代の古辞書/橘忠兼/朱刷り入。
叙述已故柏木大言日夜愁,
以致一病不起之状,哭泣不已。四十八願得聞鈔。薰君想道:
“此往事,即使是于他人的,听了也不感慨。法然上人絵大鑑・103図版・彩色木版3枚/昭和7年/井川定慶・望月信成編。
何况是我本人多年以来所望知道的。家内用心集。
我常向佛祈愿,欲明示当生何事情,
致使吾母出家尼。教訓宝入船。想是佛力,
使我无意中得此机会,听到如梦一般可悲的故事。成功百話 大月隆 東京滑稽社 明治45年(1912年) 重版。”
他的眼泪就流个不住。清水霊験記。后来道:“如此看来,
像一知道当年旧事的人,今世有。近世筑前史料 異変口上書 附御称誉写。
但不知可又可耻的事,外有人播出去否?
多年以来,我全然不曾听到。【明治閨秀美譚/鈴木光次郎編】東京堂書房/明治25年初版。”弁君答道:


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。良姻心得草。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。和本「一休禅師一代記図会」五編1冊 安政3年/序 37丁 歌川芳晴/画 樓花亭江島/著 伝記 絵入 和歌 狂歌 (草双紙 木版画 江戸。


「橋姫の巻」原本の末尾(原本番号66-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」橋姫の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。和語連珠集。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。東台戦記・下/一名・松廼落葉/高畠藍泉・前田夏繁著/戊辰戦争の戦闘の一つである上野戦争・彰義隊の活躍ぶりを公然と描いた最初の出版物。冬姫は内大臣・通誠の養女。鯉魚繁殖法。
冬姫は通称。青年の将来 鶴城生 大月隆 明治33年(1900年) 文学同志会出版。正式な名は伊達貞子。増訂故実叢書・武器考證第一・二・2冊/天金本/昭和5年/儀式・故実書を網羅した有識故実の原典として辞典の項目にも掲載されるほど著名。左端の写真は「橋姫の巻」末尾の拡大写真。善光寺境内図。
上の篆書体は、「「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)の押印。昭和9年発行 國體と基督教との融合 岸田軒造 向山堂書房 日本國體と日本精神 etc 宗教。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。明治22年発行 固本策 上 渡邊重石丸 道生館 歴史。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。★R-045436 文永堂 天野八郎 上野戦争実記 絵入り 和本。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。※古書隨処禅師文庫 山形県香澄町三浦隨処編発行染谷正龍・山口一治・尾関文堂等 白巖小詩百首・日露戦争初中後雑詠・山形小詩等漢文漢詩。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。狂詩百々色染。筆者は近衛関白政家公。瀧澤清画 潜龍堂画譜 全 人物之部・花鳥之部/2冊 求古堂蔵 vbaa。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。関根一流手相秘伝抄。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。敬仏感応鈔。左の写真は、桐壺の巻の奥付。小学雕題上下・2冊/小学に対する中井履軒の注解書/河野春○批評・市村元貞訓点/明治15年/小学句読を使用し欄外に自分の説を書き入れたもの。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。愚迷発心集和談抄。上下2段の花押のうち、上の印は。和本 御書 親鸞 等著 光陽館 1886年7月 傷み・シミ多 一部折れ有。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(橋姫の巻)MRI 45―33B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。連集良材。


「源氏物語」「橋姫の巻」主人公・橋姫の資料

下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と薫の君。増補大阪町鑑。


「源氏物語絵巻 」橋姫(国宝)琵琶を前にする中の君(左端)と、
琵琶を横に置く大君。興亜大観・皇紀2600年/昭和15年/聖地巡歴・神武天皇建国の大御業・興亜の聖戦・支那事変日誌/近衛文麿・林銑十郎・畑俊六・有田八郎題字。邸の外から二人の姫君を眺めるのが薫の君(右端)




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。★R-045425 大正七年 家庭のローマ字(ローマ字ひろめ会、和本)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。古色紙 六歌仙。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。訂正篆書字引。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。仏説善悪因果経絵抄。

漢詩文原文上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)の漢詩文の落款が押捺されている。海外実録。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。童蒙東京往来。
源氏物語「橋姫」原本に記されております。後隊図式・後隊座備之業・後隊一手弯月之業・後隊二隊救應之業・4冊/江戸期和本。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「橋姫の巻」を書いていることがわかります。浄土真宗 法話録 写し 全1冊 江戸時代後期/筆 墨筆 写本 経本 仏書 法帖 (親鸞 法然 手鏡 古筆 古文書。この原詩の言葉の引用は、「橋姫の巻」に用いられていることで広く知られている。◎即◆宇和島藩庁 伊達家史料9 記録書抜・伊達家御歴代事記 三。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。満洲戦線ペン画/太田天橋/昭和8年/満洲事変勃発以来約一ヶ年に亘り満洲に渡って危険を冒して描きたる真に魂の籠った命懸けの作品/武藤元帥。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。歌林良材集。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。和本『支那選述 緇門崇行録』全1冊 安政5年 雲棲大師/述 三緑山蔵版 55丁 仏書 禅籍 経本 大本 (中国 唐本 江戸 古文書。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。殉難後草/青雲閣兼文・西村兼文編纂/若い命を日本国の将来のために捧げた七十六名の憂国の志士たちの辞世/永井隆尚・来原蔵盛功・野崎政盛。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。新板長田状。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。*珍品旧蔵*唐代 佛經冊頁《武則天沐手敬書》共42頁 絹本 經書 稀少珍品 古美術品 LRF0228。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。*珍品旧蔵*清時代 佛經二十四《虚空藏菩薩經》約十米全長 材質:宣紙 稀少珍品 古美術品 LRF0228。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。春濤詩鈔・乾坤2冊/森春濤/明治14年漢学を鷲津益斎に詩を梁川星巌に学ぶ/巌谷一六・日下部鳴鶴らと親しみ明治詩壇の大家となる/古近体詩。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。徳本行者勧誡聞書。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。和本 御文 : 大正新刻 : 當用讀法修正 立花慧明編輯 法蔵館 1915年4月 表紙少し汚れ有。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。諸礼教訓鏡。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。観音経早読絵抄。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。限定本★書物よもやま話 庄司淺水 昭和61年 限定68/125 山高登 制作木版書票附き(1枚)出版ニュース社。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。性法略。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。首斬り浅右衛門刀剣押形〈上.下巻〉福永 酔剣 (著) 激レア本。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。【閑】尚古山房拓印出版『趙子昴徳清聞居』『劉文清公法書』『陸潤庠文碑記』求石斎印行『張文襄公法書』安東宏業號印書局出版古書(計5冊。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。?古帖/明治44年/出品図書の中より四十種四十七葉を写真版に附して茲に本帖を編し此展覧会を永久に記念せんと欲す/臨済録・日本書紀神代巻。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。西伯利亜派遣軍記念写真帖/シベリア派遣軍記念写真帖/大正9年/48図版/大日本帝国陸軍・浦塩派遣軍・シベリア出兵/陸軍大将大井菊太郎。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。新学異見辨。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。名古屋東陽館図。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。[黨内資料・非賣品] 初級黨員教育の方針 日本共産黨北陸地方委員會教育宣傳部。撮影後、展示のために再表装をしております。※古書益荒男の道 大瀧由次郎編発行 序文山口県玖珂郡柳井町長國森重衞・跋文靖国神社主典原通雄・題字陸軍大将井上幾太郎・表紙永井幾麻。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。手束杖。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。扶桑隠逸伝。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。信濃の祭/昭和22年/須山計一/柳田国男・どうか成るたけ弘く此一巻の書が遠近各地の愛国者の手に頒たれんことを心から私は祈念して止まない。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。現今英名百首。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。公事ゆう(口偏に秀)要集。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。名古屋金城及名所図。額縁は新品です。菅家世系録・上中下3冊/玉田永教・江戸後期の神道講釈師/菅原道真の家系・伝記を挿絵入りで解説/その影響は吉田松陰にも及ぶといわれる。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。浄土和讃私記・高僧和讃私記・正像末讃私記。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。少年日露戦史・12冊/明治37年/今の少年の爲めにも今から後の少年の爲めにも帝国空前の大事業を永く記憶させる爲めに日露の戦争を書いた本。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。絵図 (城郭図) 福井県 越前國 福井城(レターパックライト発送)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。明治新撰泉譜。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。於夏蘓甦物語。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。昭和14年発行 陣中劇 直ぐ問にあふ 陣中慰問 服部静雄 新興文藝社。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。肥後金工録/幕末の土佐藩士・陸軍大佐/長屋重名・鉄網海客/肥後金工研究の端緒を開いたばかりでなく今なお研究の指針として必読の書/和装本。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。勤王護国譜/非売品/昭和18年/一億国民の戦場精神を振起するため岡山城天守閣を会場とし多数観覧者に異常の感銘を與へた/楠木正成・乃木希典。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。掃葉山房 石印 四庫全書簡明目録 民国 孟夏重校。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。用射録目録・2冊/弓術・弓道和本/山本平八/天保五年/右二巻当流之秘書多年依御犱心免伝写/新弓張様之事・弓張出しの事・長矢束用捨之事。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。絵図 (城郭図) 静岡県 遠江國 掛川城(レターパックライト発送)。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。円山四条派画集・2冊/両派の特別展覧会に出陳の名画とその他人口に膾炙せる最も著しき各家の珍襲とを請ふて両派の粋を抜き編集/大正元年。母は後水尾天皇皇女女二宮。いせ大和まわり名所絵図。実母は近衛家女房(瑤林院)。天道流行図説。幼名は多治丸。六如菴詩鈔。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。絵図 (城郭図) 大阪府 摂津國 高槻城 (レターパックライト発送)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。瑞石山由来記。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。物品識名。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。*珍品旧蔵*唐代 佛經冊頁《歐陽詢沐手敬書》共42頁 絹本 經書 稀少珍品 古美術品 LRF0228。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。昭和28年発行 和田小六博士 追憶のために 東京工業大学内 工業振興會 教育。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。康煕御定題画詩類 天保9年 康煕46年 翰林院 陳邦彦 2冊 木版摺 検索⇒古籍善本 唐本漢籍 支那 彫版 木刻本 筒子頁 線装本 宣紙 白棉紙 清朝。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。四等水兵修行記念/大正十五年徴兵/横須賀海兵団舞鶴練習部/若き海の勇士の遺途に此の一途を捧ぐ/雪の舞鶴練習部/何と忘れ幾い名ではないか。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。長恨歌琵琶行野馬台之起。


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