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『5年保証』 女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B 和書

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『5年保証』 女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B 和書

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_画像1 女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_画像2 女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_「人非木石皆有情」白氏文集・漢詩文の落款 閉じる

「人非木石皆有情」白氏文集・漢詩文の落款

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_原本の断層画像写真 閉じる

原本の断層画像写真

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻) 閉じる

左が柏木、右が夕霧(国宝・源氏物語絵巻)

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_手紙を読む夕霧(国宝・源氏物語絵巻) 閉じる

手紙を読む夕霧(国宝・源氏物語絵巻)

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_夕霧と女二の宮(落葉の宮 閉じる

夕霧と女二の宮(落葉の宮

女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる「源氏物語」夕霧の巻・大炊御門宗氏・自筆・茶道34B_下は女二の宮、上は母の御息所 閉じる

下は女二の宮、上は母の御息所

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「夕霧(ゆうぎり)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。名臣言行録 前後集 合本3冊 宋朱晦菴先生 朱熹撰。

「夕霧の巻」の主人公「夕霧」は、国宝「源氏物語絵巻」の中に柏木を見舞う柏木として描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。腰越浜歩き 芹沢銈介。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。江分利満氏の優雅な生活 直木賞 山口瞳。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。蝗の大旅行 佐藤春夫。現在の今上天皇と系譜がつながっている。土方泰山伯伊東元帥画賛幅 兵可用酒可呑 土方久元・伊東祐亨。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。大野林火色紙 郭公の 大野林火。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。女庭訓 黒岩涙香小史訳述 永洗口絵。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。伊藤観魚書幅 金剛摩尼華 伊藤観魚(八田道人書き)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。十年 佐藤春夫他編 岸田劉生装幀。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。西春日井郡安井村全図 稲垣氏所蔵同捺印。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。世界名作探偵 20 透明人間 ウエルズ 海野十三。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。瀧井孝作句幅 朝顔の句 瀧井孝作。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。森村宜稲画幅 鶉 森村宜稲。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。虜愁記 直木賞 千葉治平。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。コドモトナリグミ (児童書 絵本 漫画本) 坪田譲治作 武井武雄画。また、各巻ごとの書かれた年については不明。柳原白蓮歌 名取春仙画幅 おもひきや… 白蓮画賛。従って、応永五年とは、書き始めの年である。改正新刻 京都市街名所新図 片岡賢三編。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。千家元麿書幅 佛陀の… 千家元麿。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。狂言画 伊勢門水。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。明星画譜 全12葉 与謝野寛編 伊上凡骨刻。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。小早川清画幅 初かり 小早川清。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。奥羽道中膝栗毛 五篇各上中下巻揃 十返舎一九著。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。白描 十二支及び十二神将図像。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。近江国細見図 山下重政。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。水原秋桜子句幅 花の雨 水原秋桜子。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。朝の影 広津和郎。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。地熱 渾大防小平。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。0406か6■和本■詩経名物辨解【享保16年/7巻3冊揃/虫損/シミ】京師書林【ゆ60】。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。第6回追悼会 憂国忌 ポスター2種 2枚他 憂国忌実行委員会。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。太田水穂色紙・井上康文色紙貼り合わせ幅 太田水穂 井上康文。


 出品した「源氏物語」は夕霧(ゆうぎり)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。三島由紀夫自選集  限定版 署名入り 三島由紀夫。「夕霧」の巻名は、夕霧が柏木の正室(朱雀院の姫君・女二の宮)落葉の宮に書き送った和歌「山里のあわれをそうる夕霧に立ち出でん空もなき心地して」による。大鎧着初式 市岡太次郎。源氏の君と葵の上の長男・夕霧は、病にふせる柏木を見舞う場面は、国宝「源氏物語絵巻」に美しい画像として描かれている。女人散らし書き A。柏木は、自分がなきあとの正室・女二の宮(朱雀天皇の皇女)の行く末を案じ、友人の夕霧に遺言として女二の宮の後事を託す。@1916年 擁護共和 紀章 雲南 都督府 検索: 支那 中華民国 北洋 軍政府 軍閥 唐継尭 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 五色旗 孫文 国民党 生写真 督軍。柏木なきあと、落葉の宮と称される女二の宮の世話をするために法事の世話などの用事にかけつけて落葉の宮をあう。越後国大絵図 (仮題) 絵師版元など不明。そこで、恋心がつのった夕霧は、落葉の宮との結婚を願うようになる。赤復得楽帖   ◆貴重 /古書画。夕霧と会う落葉の宮を心配する母の一条御息所は、心配のあまり夕霧に手紙を送る。膳城烈士遺稿・膳城烈士伝 計2点 永元原蔵編。だが、その手紙は夕霧の正室・雲井雁の発覚によって夕霧に渡ることはなかった。紡錘 山中智恵子。娘・落葉の宮の出家の希望を聞いた父・朱雀院(前朱雀天皇)は、一条宮の邸に連れ戻される。夢を描く 尾崎久弥(尾崎楓水)。しかし、夕霧の希望により落葉の宮との対面の機会が生まれ、二人は婚儀を行なう。石井河内守利寛より渡辺半十郎宛礼状。源氏の君と紫の上はこれも運命と考え忠告するのを控える。植松有経歌幅 月下薄 植松有経。夕霧と結婚した落葉の宮は、その後、多くのこどもを授かり幸福な時を過ごす。高浜虚子句幅 秋の雲 高浜虚子。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

自筆上部の「人非木石皆有情」人木石に非ざれば皆情あり「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【推薦・繊細 明治期 彩色木版画】大日本史事畫集等検合戦国武将軍記武者絵入天皇仏教浮世絵本仏像歴史古書籍骨董品錦絵朝廷中国朝鮮歌舞伎。夕霧の巻の一節「岩木よりけになびきがたきは、契りとうてにくしなど思うやうあなるを」の一文による。殿居嚢(武家故実) 大野広域著。夕霧の巻の原詩は「木石」であり、夕霧の巻は「岩木」であるが、古来「白氏文集」に由来されているとされる。半田良平短冊 磐梯山 半田良平。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。浅野梨郷短冊 7枚一括 浅野梨郷。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
「夕霧」の巻は英文で「Evening Mist」と表記されます。勢州阿濃津之城図 (津城) 三重県津市内。
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)漢詩の落款が押捺。新撰精密 万国新地図 山中善三郎。夕霧の原文に引用されている。伊藤圭介二行漢詩幅 花香… 伊藤圭介。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。人間を彫る 限定本 関野準一郎。)

「自筆原本」

自筆右下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。小林清親肉筆画幅 二幅で 小林清親。

自筆上部の「人は木や石ではない、心と言うものを持っている」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。斎藤五百枝挿絵画稿 斎藤五百枝。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。兵器考・4冊・戦前の兵器学のバイブル/有坂〇蔵/砲熕編・一般部/砲熕編・海軍砲熕・小銃/古代編・近代編/古今東西の兵器の大観に通ずるもの。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。黒田清綱短冊 江水鳥 黒田綱輝。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。名古屋市全図 B 松岡利助。


《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《原本上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・夕霧の原文に引用されている。絵入小唄集 三味線草 再版 竹久夢二。》

《れいも、あつしう》・・・・のみ聞(きゝ)はへりつるならひに、
うちたゆみてなん。山本太郎色紙 天まつせんを 山本太郎。かひなきことをは、さる物にて、思ひ嘆い給ふらむ、
ありさま、推し量るなん、あはれに心くるしき。古刀銘尽大全/古刀銘盡大全・8冊/仰木伊織/初心目利手引焼刃部類分・鍛冶系図・番鍛冶・刀剣見様之事・焼刃忠押形並彫物・中心銘押形。なへての世のことわりに、
おほし慰め給へ」とあり。月光仮面 2 川内康範。目も見え給はねと、御かへ、きこえ給ふ。高浜虚子短冊 ガス深き…  高浜虚子。
常に、「さこそあらめ」と、の給ひけることゝて、「今日、やかてをさめたてまつる」
とて、御甥の、やまとの守にてありけるそ、よろつにあつかひ聞えける。百人一首女庭訓入 女有職?(みばえ)文庫 文海主人。
「かわをたに、志はし見たてまつらん」とて、宮は、おしみ聞え給ひけれと、
さても、かひあるへきならねは、みな、いそき立ちて、
ゆゝしけなる程にそ、・・・・《大將おはしたる。詩集 采花集 与謝野寛。》 


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。■『狙日第五列』山中峯太郎著。昭和15年初版帯。帯付稀本。同盟出版社刊。■猶太(ユダヤ)國際陰謀の基底を小説化。。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。海上衝突予防規則問答 全 本山漸編。


《「源氏物語」夕霧(ゆうぎり)の巻》
《夕霧、月明かりの下で恋する女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)とご対面》

《夕霧、女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)に後朝(きぬぎぬ)のお手紙を書き送る》

《夕霧からの手紙が届く、女二の宮の母君(一条御息所)が返事を書く》

《女二の宮(落葉の宮・朱雀天皇の皇女)の母君(一条御息所)悲しみに包まれる》
《宮(女二の宮)は、この父院(朱雀院・前朱雀天皇)のお便りを頂戴して、
やっとお頭(つむり)をおあげになる。(尾張藩)編年便覧 平岩蔵の書き入れ。
(女二の宮の父・朱雀院)「このところ、母君の重くおわずらいになるとは聞いておりましたが、
常々病がちと聞きなれていて、》・・・・・・つい油断しておりまして……。工芸 86号 和時計特集 塚田泰三郎。
いまさらいたしかたのないことはさておいて、あなたがどんなにお嘆きか。津島神主 氷室長翁短冊 氷室長翁か。
そのご様子を推し量るだけでもかわいそうで、胸が痛みます。織田盛衰記 江戸後期写本。
これも世間おしなべての道理とお思いになり、おあきらめください。美術と工藝の話 柳宗悦著 章華社刊 初版。」
と書いてある。グンカン (児童書 絵本 漫画本) 渡邊哲夫作 安井小彌太画。涙で目もお見えにならないけれど、宮(女二の宮)はご返事をおさしあげになる。水の面に書きて 堀口大学著 長谷川潔装幀。
 いつも御息所(みやすどころ)が、ご自分のなくなられたあとこうしてくれるようにと
おっしゃっていたことなので、今日すぐにお見送り申すことになる。田中冬二草稿 随筆一点と詩篇4点 田中冬二。
御甥(おい)の大和守(やまとのかみ)であった人が万事お世話申しあげるのだった。忍秘伝/服部半蔵所伝/万川集海・正忍記と共に三大忍術伝書/限定。
宮(女二の宮)は、せめて御なきがらだけでもしばらく拝していたいと、
お別れを惜しみ申されるのだったが、いつまでそうしていても仕方がないので、
みな、急ぎ葬儀の支度をして、いかにもまがまがしい気配である。校訂 西鶴全集 上巻5冊 尾崎紅葉他校訂。
そのさなかに・・・・・《大将(夕霧)がお越しになった。歌聖糟谷磯丸翁陶像など 昭9年雪鴻箱書(箱蓋裏に)。》

備考1・備考・宮(朱雀天皇の皇女・女二の宮)からのお手紙(実際には母君の代筆)を、雲居雁(夕霧の正室)に奪われた夕霧が理由をつけて取り戻そうとする。豊明り 可都美序 俳書。

備考2・落葉の宮は、朱雀帝と一条御息所の皇女で、柏木の正室。史徴墨宝・上下/折帖/源頼朝・楠木正成・後醍醐天皇・後白河天皇・足利尊氏・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・毛利元就・加藤清正・北條早雲。柏木は生前、友人の夕霧に落葉の宮の行く末を遺言として託していた。安藤帯刀・水野対馬より西山与七郎宛加増目録 伊勢国多気郡・度会郡・飯高郡・紀伊国日高郡村々。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。劔目利傳書 剱目利伝書 刀剣 日本刀 室町末期頃寫。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。果樹 水上瀧太郎。


《Evening Mist (夕霧)》
"I had known of her illness for some time,
but I had known too, of course, that she had long been in bad health.
I see now that I was not as worried as I should have been.
But that is over and finished, and what concerns us now is
your own state of mind.
Please be sure, if it is any comfort, that I am grieving with you,
and please try to take some comfort from the thought that everything must pass."
Through her tears, she set down an answer.
The old lady had left instructions that the funeral take place that same day.
Her nephew, the governor of Yamato, had charge of the arrangements.
The princess asked for a last silent interview with her mother,
but of course it accomplished nothing.
The arrangements were soon in order.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)


(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。女人散らし書き B。


《夕霧》
今遭此大故,属不幸之至。平出修短冊 室戸岬 平出修。我推想悲之状,
不怜惜。明和新増 京羽二重大全 全8冊 博昌堂謹誌。望省察人世无常之理,善自慰要。猛獣狩冒険 密林の王者 南洋一郎。
”公主眼已哭得不能物,然而是握奉。梅花一枝 限定300部 清水公照。
老夫人生前常常嘱咐死后如何葬,故遵此命,
今日即行出。中山東物語 (雑史実録)。老夫人的儿大和守料理一切事。虚無を行く 西谷勢之介詩集 西谷勢之介。
公主恋恋不舍,希望多得瞻仰骸。水谷勇夫 書琉球の風・短冊・展覧会案内など 一括(作品10点と案内状4点) 水谷勇夫。
但此事不能照,人立刻准出。近世太平記 全3冊 吉村明道編。
正在出之,夕霧大将来了。志賀直哉の手紙 武者小路実篤編。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「夕霧の巻」原本の末尾(原本番号73-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」夕霧の巻の末尾(原本番号73-A)の押印。骨董集 全4冊 山東京伝。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。信濃之図(仮題)。冬姫は内大臣・通誠の養女。美濃国絵図 (大図) 制作者等不明。
冬姫は通称。東春日井郡実測図 東春日井郡教育会編。正式な名は伊達貞子。鉄砲(秘伝聞書)一巻子細書付 有馬源蔵書 花押。左端の写真は「夕霧の巻」末尾の拡大写真。伊勢門水自画賛幅 高砂末広 伊勢門水。
左上は、「人非木石皆有情」の印。流星の道 (歌集) 与謝野晶子。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。子供絵本 アイウエオ 附相撲 (児童書 絵本) 榎本進一郎装画。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。霜夜鐘十時辻占 稲村荘吉編、刊。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。安楽集鑰聞(やくもん) 全7冊 知空。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。岡部一彦水彩画 エベレスト遠望 岡部一彦。筆者は近衛関白政家公。井上士朗 自作句画画帖 井上士朗。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。博物要論 佐々木武綱訳。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。美作国津山御家中連名附 他 松平家。左の写真は、桐壺の巻の奥付。尾張国全図 完 小田切多芸雄等。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。新方丈記 内田百閒。上下2段の花押のうち、上の印は。宮尾しげを画幅 茶柱 宮尾しげを。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(夕霧の巻)MRI 39―34B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「夕霧の巻」主人公・夕霧の資料

下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる夕霧。尾崎士郎書簡 村本喜代作宛 尾崎士郎。


病床の柏木を見舞う夕霧。政体真説 政党論 合川正道訳 アルバート・スチック。左が柏木、右が夕霧。つばめと日の丸 山田三郎。




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。御江戸絵図(仮題) 高柴三雄誌。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。改正 参河国全図 岡田啓識。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。尾張明細図 全国之部 小田切春江画。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。大相撲番付 嘉永五年東西二枚で(刷物 番付) 勧進元小野川秀五郎。

漢詩文原本自筆上部に「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩の落款が押捺されている。夏ごもり(夏籠集) 俳諧 梅老編。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。花かんざし 高橋椈太郎。源氏物語「夕霧」原本の17-Aの原本に記されております。東宮殿下行啓記念・後の大正天皇・2冊/明治44年/田山宗堯/明治期北海道風景名所写真帖・アイヌ含む189図版/北海道庁・札幌神社・函館競馬場。紫式部が「夕霧」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「夕霧の巻」を書いていることがわかります。藤井勝彦肉筆原画 地球のかけら 藤井勝彦。この原詩の言葉の引用は、「蜻蛉の巻」に用いられていることで広くしられている。伊豆日記 全3冊 小寺応斎画。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。悲壮惨憺 昂駒之蹄 中村弼 小林清親口絵・挿絵。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。敵討巌流島 写本6冊 佐々木 宮本無三四。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。前田利豁と不破彦三より小島六郎左衛門宛書状 2通で。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。神都名勝誌 全6巻7冊 神宮庁編。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。森有一画賛幅 木の実(仮題) 森有一。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。吉田初三郎肉筆画幅 桃太郎日本一 吉田初三郎。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。通鑑覧(ラン)要 全15冊 張景星他著 佐藤一斎撰。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。大阪府日報 初号 (日刊浪華要報1号) 版元不明。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。小泉八雲初期文集 尖塔登攀記 外四篇 小泉八雲/佐藤春雄訳。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。十六夜日記残月抄 全3冊 高田与清・北条時鄰補。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「人非木石皆有情」(人木石に非ざれば皆情けあり)の漢詩文の落款が押捺されている。アメリカン アメリカ 濱谷浩。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。神社古図集/神社の境内・社殿の古絵図を集成し解説を付したもの/奈良時代から桃山時代/130図版/1000部/東大教授宮地直一監修/昭和17年。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。前津小林村地籍図(名古屋市中区) 木村又兵衛他製図。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。欧洲奇話 寄想春史 全3冊 リトン著・織田純一郎訳 服部誠一校閲。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。中村草田男色紙 伊良湖崎遠望 中村草田男。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。江崎誠致草稿 中村真一郎作 恍惚の書評 江崎誠致。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。石田元季短冊 桃散るや 石田元季。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。加茂郡潮見村全図 戸長柘植氏署名黒印。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。パリュウド 限定328部 ジイド 堀口大学訳。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。井上士朗短冊 あくまでも… 井上士朗。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。応仁武鑑 全7冊 栗原信充編。撮影後、展示のために再表装をしております。記念 挿華三光の香 全2冊 未生流流甫編。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。さじ加減 高橋仏骨。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。稀少 1879年 明治12年 信州川中嶋合戦 上巻 木版画 浮世絵 幽霊 妖怪 化物 怪奇 武田信玄 上杉謙信 侍 和本 草双紙 古書 古文書 約80ページ。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。井上士朗句幅 ひやひやと… 井上士朗。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。公私雑報 第一号。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。絵ごよみ 限定300部 清水公照。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。娘三人記 片岡鉄兵。額縁は新品です。希少★享和2年 「肥前長崎図」 文錦堂板 折畳古地図 出島 オランダ船 (管理53976527)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。信濃漫録 荒木田久老。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。頼朝公御書 豊後國湯布院住人/新田法眼照義入道。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。玻璃 1~3号 3冊 関川左木夫編。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。松平正直書幅 宝祚之隆典天懐無窮 松平正直。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。版画誌 陸奥駒 第17号 全12葉 佐藤米次郎編 棟方志功 川上澄生 関野準一郎他。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。恐怖の花籠 日本名探偵文庫 13 海野十三。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。海外名哲士鑑 菊池武信翻訳。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。人情小説 花情粋話 ビトリオー・ベルセジオー著 大石高徳訳。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。せんたくやの驢馬 世界童話集 19 鈴木三重吉編。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。歌集 白き山 斎藤茂吉。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。詩集 あの山越えて 小川未明。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。小倉清三郎草稿 膳の研究の吟味 (一) 小倉清三郎。母は後水尾天皇皇女女二宮。チョーサー カンタベリー物語 エルズミア写本 全2冊 ジェフリー・チョーサー。実母は近衛家女房(瑤林院)。芹沢銈介型絵本の内 小間絵集(二) 芹沢銈介。幼名は多治丸。仏説無量寿経 全2冊 西村九郎右衛門板。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。厚物咲 (芥川賞) 中山義秀。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。幕末大日本御絵図(仮題)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。滋賀県蒲生郡日野町 法興寺文書 岡 日野屋などの町方・世話方控え。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。豆本 飛翔する唇譚 限定10部 篠原佳尾。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。前橋藩下級武士席順帳(仮題) 高輪御陣屋内田氏控へ。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。袖珍有司武鑑 燕屋 弥七版。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。南坊録 全6冊 南坊宗啓述 中村得三郎刊。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。前田曙山書簡 武田鶯塘(おうとう)宛 前田曙山。


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